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旧共産主義の街を歩くと

ベオグラードは現在のセルビアの首都ですが、旧ユーゴスラビア時代の首都でもあります。


毎日新聞より
旧ユーゴの今の状況


旧ユーゴスラビアは東ヨーロッパ、ギリシャの北側のバルカン半島にあります。
バルカン半島は、
「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字からなる一つの国家」
と言われ、民族・宗教・言語が入り混じり、多様な生活が混在している人種のモザイク地区です。
当然衝突も多く、そのため「ヨーロッパの火薬庫」となり、第一次世界大戦勃発のきっかけともなりました。

第二次大戦後、その旧ユーゴスラビアを束ねていたのがチトーでした。
チトーはユーゴスラビアを社会主義の国としましたが、ソ連とは一線を画し独自路線を進みます。
冷戦当時、東ヨーロッパ諸国はソ連の監視下にあったと言っても過言ではなく、その中で独自の道を歩めたのは、チトーの力だと言えるでしょう。


チトーの像(とダンナさん)


チトーは陣取り合戦を繰り広げるアメリカとソ連を尻目に、米ソのグループとは別の、第三勢力の形成に中国の周恩来やインドのネルーとともに力を注ぎます。
アジアやアフリカの多くの国がその「非同盟」の精神に共感し、次第に第三勢力は国際社会の中で大きな勢力となり、
ともすると突っ走りがちになるアメリカ・ソ連のブレーキの役割を果たしました。

しかし、チトーが亡くなり、社会主義の親分であったソ連も崩壊するとユーゴスラビアも崩壊し、
現在は7つの国に分かれ、その独立をめぐる内戦で国土は荒廃してしまいます。
セルビアはその旧ユーゴスラビアで、最も大きな力を持った共和国でした。

そのため、ベオグラードはこれまで行った旧ユーゴの国々の首都に比べ大きく都会でした。
街も広くて人も多く、トラムやバスがたくさん走っていて、マックもあって。


幅の狭いトラムがかわいい。
女性の運転手さんも多くいました。


イスタンブール以来の都会です。
目抜き通りは広々としてGAPとかベネトンとかのチェーン店が並び、ストリートパフォーマーもいて、久々に活気のある街です。
どんどんヨーロッパ臭が強くなる~!




像はイスラム圏では絶対なかったから、ヨーロッパーーーっっ!って感じがすごいする

でも一方で物価は安く、めっちゃおいしいピザ(1/4サイズ)を100円程度で食べれたり、


このピザ、めっちゃおいしかった!!


人も親切で、アラブみたいに積極的にからんでは来ませんが、聞くと丁寧に場所を教えてくれたり!
ドナウ川を望む公園ではみんなのんびりお散歩して、ちょっと前まで紛争の当事国だったなんて思えないほどです。


ドナウ川!

そんな中で、旧ユーゴ時代の雰囲気を見つけながら歩くのがとっても興味深かったー。

私が一番興味深かったのはチトーの廟でした。
彼が生前各国の元首からもらった贈り物が展示してある博物館では、主にアジア・アフリカの国々からの品々が陳列されていて、
それぞれの国の随一の工芸品や宝飾品が見る目にまぶしい!
日本からのものもいくつかあり、漆塗りの蒔絵で作られた宝石箱やカメラなどがありました。


日本からの贈り物

チトーの第三世界における影響力の大きさと期待を感じることができる博物館でした。
(日本はアメリカ側なので違いますが)

第三世界を形成し民族自決を唱えつつ、自国内では民族主義を強く牽制して多民族・多文化の融和を図っていたチトーという人物に強い興味を持ちました。
ものすごいカリスマ性のある人だったんだろうなぁぁぁぁ。


非同盟諸国会議の様子

そして共産主義時代の名残。
味もそっけもない、効率重視のコンクリの大きな建物の数々。




ほんと、おもしろみのない建物たち


もうだいぶ古ぼけてきていますが、その分重くのしかかる感じが、共産主義時代の空気を醸し出しているような気がしてきます。

住宅地でも同質のコンクリ高層アパートがだーっと林立し、
「おーっ、共産主義っぽい!」
と思っていたのですが、よーく見ると日本の団地に瓜二つでした。


広島なら広陽とか、大阪なら千里とか、ニュータウンってこんな景色!

コンクリの、ひたすら同じような四角い建物が並ぶ風景。
同質の建物をいかに効率よく多くの人に配給するか、というのは確かに日本の団地のコンセプトと同じ。
日本は「資本主義国の中で唯一社会主義が成功した国」などと言われることもありますが、あながち的外れではないな、とその風景を見ながら感じました。

車も古い形のものが多く走っていて、各国で車ウォッチャーと化しているダンナさんは大喜び!
「おぉー、こんな車がまだ走っとるんかぁ」
「あれなんか○○○なんよ!」
(何に喜んでいたのかよく覚えていない)
と写真を撮りまくり、挙句にはユーゴメーカーのミニカーをお買い上げ。

仲良し夫婦でも、時として興味関心の方向は大きく違うのです(笑)

そしてそして、内戦の傷跡。
コソボの独立問題の際、NATO軍から空爆を受けたベオグラード。
いまだに破壊された建物がそのまま街の中心部に残っています。




わざとNATO軍の攻撃の跡を残している、という話もありますが、写真を撮っていたら警察官に制止されたという話もよく聞きます。
私たちは止められる事なくバシバシ写真を撮りました。


多くのアルバニア人をセルビア人が虐殺したとしてNATOが軍事介入した時のものです。
街中の古い建物の壁に銃痕を見ることもありました。

それらを見て、どれだけの人が傷ついたか、怖かったか、大事な人や財産をなくしたか、人生が変わったかを改めて考えました。

テレビで見てわかった気でいて、実は何もわかってないことがよくあります。
ここのこともそうでした。

NATOの攻撃当時、よくニュースで「コソボ」「NATOの空爆」という言葉を聞いていました。
恥ずかしながら、「コソボ」という響きにアフリカをイメージしていたくらい、情勢に無知でした。
それでもなんとなく、わかったような、知ったような気になっていました。
でも本当には知らなかったのです。

「知らない」ということは、想像力が働かないことです。
「知らない」ということはそこで思考停止をしてしまい、そこに人が生活してて、ご飯食べて、ケンカして、恋して、笑って、泣いて…
そんな「生活」が存在していることを考えないということです。
つまり、そこに住んでいる人々の痛みを理解しない、ということです。

「本当に知る」ことの大事さ、
そして今現場で「知る」チャンスを得ていること、
そして自分は「知らせる」スピーカーになりたいということ。

そんなことをベオグラードで考えることが多く、派手な観光地ではないものの、私の心に強く残る街になりました。

えり
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