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本当に恐ろしいことは。

重苦しい空気を感じて、ゲートをくぐることがためらわれました。


「労働すれば自由になれる」と書いてあるゲート

ここはアウシュビッツ強制収容所。
ポーランドのクラコフからバスで2時間ほど離れたオシフィエンチムという町にそれはありました。

第二次世界大戦中のナチスドイツによる強制収容所。
世界で最も有名な負の遺産のひとつといえるでしょう。



ここは今回の旅でどうしても訪れたい場所でした。
小学6年生の時に『アンネの日記』を読み強制収容所の存在を知りました。
その後担任の先生に勧められて日本版アウシュビッツとも呼ばれる731部隊が題材となった、松谷みよ子さんの『屋根裏部屋の秘密』を読み、「語られない歴史」があることを知りました。
社会科の教員になった原点です。

どうしてそんなことが行えるのか?

なぜこのようなことが行えたのか?


先のない線路の終点にあるモニュメント

「何が行われたのか」はある程度知っているつもりです。
「なぜ?」を知りたい、考えたい。
機会があれば訪ねなければならない場所だと思っていました。

今回運良く、ただひとりの日本人ガイドである中谷さんのガイドを聞きながら回ることができました。
クラコフでたまたま出会った日本人の大学生が事前に連絡し予約を取っていて、そこに入れてもらうことができたのです。

中谷さんの説明は、展示の説明のみならず、「なぜこういうことが現実になったのか」「未来に対してこの教訓をどう活かすのか」という観点で問題提起されながら語られ、
私が漠然と疑問に思ったり感じていた部分が次々と明確になるようでした。

強制収容所の敷地内は想像に反してきれいで、整然とレンガ造りの建物が並び、並木も植えられていました。


植林されて70年近くになる並木

音楽の演奏会なんかも行われたりして、表向き健全な「保護施設」のように装われていたのだそうです。


演奏会の様子の説明板
英語、ポーランド語、ヘブライ語(ユダヤ人の文字)で書かれている
ドイツ語はない


このような収容所はドイツ支配下16ヶ所にあり、1100万人が送られ、600万人が犠牲になったと言われています。
(数字には諸説あります)
アウシュビッツが最も有名なのは、最も多くの犠牲者を生み出したから。
その数100万人とも言われています。
広島の原爆の犠牲者が約20万人であることを考えると、その数の大きさに、その一方のこの施設の整然ぶりに、頭がクラクラしてきます。

ヨーロッパ各地(南はギリシャから北はノルウェーまで)から送られてきた「囚人」たちは列車から降りると医師により一見して「選別」され、働ける者は収容所内の建物に、そうでない者はそのままガス室に送られました。


ヨーロッパ中から集められたことが分かる地図
左が中谷さん


当初は施設に「囚人」の多くは収容されましたが、収容しきれなくなり「選別」が行われるようになったのだそうです。
ユダヤ人が多くいたことは確かですが、ロマや政治犯、同性愛者や障がい者も送られてきていました。


貨物コンテナから降ろされたこの場で選別されていたそうです

彼らは「囚人」と呼ばれました。
そうレッテル付けすることで、管理する側の心理的抵抗感を取り除き、非人道的なことであってもできてしまう効果がありました。

そして、「囚人」を管理するもの「囚人」にさせました。
収容者に食事を配るのも、持参品を押収するのも、労働の監督をするのも、ガス室に誘導するのも、遺体を埋めるのも遺体から髪や金歯を抜き取るのも…


4万足の靴
一足一足の持ち主に人生があった


これには二重の効果があります。

まずひとつがドイツ人兵士の負担の軽減。
非人道的な場面に直接手を下さない、目にすることもない。
全ては書類上、数字上のものとして処理するのがドイツ兵の役割で、システムにのっとって処理しているだけなので、罪の意識を持たなくて済みます。
そして現場で行われる「現実」はエスカレートしていきます。
書類上の数字をちょっと、多くすれば済むだけの話です。


農薬として発注された毒ガス

実際、アウシュビッツ強制収容所の責任者は施設内の、しかもガス室のすぐそばに家族と共に住んでいました。
何が行われているか想像ができれば、家族と一緒に住むなんてことはとてもできないでしょう。
責任者なので何が行われているか知らないはずはありません。
でもそれはあくまでも文字や数字でのことでしかなかったのです。


ガス室と遺体の焼却のための煙突
このすぐそばに家があった


そして第二に、収容されている人間内に階層差を設けることで収容者同士を争わせ、本当の管理者である施設に対する暴動や脱走を防ぐ効果。
管理ポジションにつくと生存の可能性があがるのです。
個室が与えられる者もいたし、太っていく人もいたそうです。
収容者の中には管理するポジションを得るためにドイツ側に擦り寄る人も現れるし、内部に疑心暗鬼を生み出すことができます。
彼らは自らの置かれた「強制収容所に連れてこられた」という状況を、仲間である収容者をより過酷に、求められている以上に管理することで精神の安定を生み出していたことも想像できます。


左の監督者も収容者
他の収容者に比べて太っている


こうして、より行為がエスカレートする循環がシステムとして出来上がっていったのです。

誰かがこのようにしよう、と生み出したものではなく、出来上がったシステムを運営していくことで、いつの間にかこの施設自体が生き物のように、より残酷な存在へと成長していったかのようです。

よくアウシュビッツでの虐殺をヒトラーがやったこととして語られますが、ヒトラー自体もシステムの一環だったとも言えるでしょう。
トップに立っていた者としてヒトラーに責任がないとは言いません。
ただ、彼一人の構想でできあがった歴史ではない、ということです。

いつの間にか、誰にも止められない、誰も全体を把握できない、巨大な意思を持ったバケモノのような組織(軍?国?政府?社会?)が、想像を絶する行為を行う。
そして、後我に返ったとき、誰にも自分が首謀者であった自覚がないのです。


多数の人が銃殺された壁

これは第二次世界大戦に突入した日本にも当てはまることでしょう。

人間の歴史で本当に恐ろしいのは、このバケモノのようなものが生まれるシステムが「いつの間にか」できてしまうこと。
それを中谷さんは「空気」と表現されました。

ヒトラーは、第一次大戦で負け多大な負債を背負ったドイツ社会の不安や不満を解消してくれる存在として支持され、1933年首相となります。
行き詰まっている時は、強い声が支持を得がちです。
この時もそうで、強い言葉の前に「でも…」と思った人がいたとしても、「圧倒的な空気」に黙ってしまう。
そして何も言えない社会が、エスカレートしていく強い言葉とただの傍観者を生み出し、「いつの間にか」バケモノが生まれてしまったのです。
ヒトラーを独裁者にした全権委任法も、アウシュビッツの書類上の運営も、法律を通した「民主的な」手続きを経て行われていたのです。

反対者がいなかったとは思いません。
『アンネの日記』のアンネのお父さん、オットー・フランクさんも「おかしな時代だ」と言っていました。
でもそれらの声は表に出ることなく、「空気」に時代が飲み込まれていきます。



この循環と危険性は非常によくわかる気がします。
国レベルの話でなくても、会社内やご近所さん、友達内での関係でも同様なことは起こっています。
「え~…??」と思ったとしても強い意見に流されて、「まぁ…しょうがないかぁ…」とか、何も言えず渋々流れに乗るとか…
誰にでも経験ありますよね?

それが国レベルで起こったら…
「空気」に飲み込まれてバケモノをまた生んでしまう危険性が、今の社会、いつでも待っていると思います。
特にネットが発達している今日、「空気」が生まれるのも伝わるのも格段に早くなりました。
でも、それは「そうじゃない!」と「空気」に対抗する手段が戦前に比べて格段に多くある、ということでもあります。

「おかしいな…」と思った時、声をあげられる社会であるか。
民主主義がきちんと機能している社会なら、反対意見が出てきた場合、対話になるはずです。
ネットが怖いな…と思うのは、対話が生まれずに「袋叩き」になることの方が多いからです。
いわゆる「炎上」ですね。

そのネット上の性質が、現実の社会にも持ち込まれつつあります。
声をあげると袋叩きになる社会は、結構危ない水域に近づきつつあるんじゃないでしょうか。
袋叩きは沈黙を生み出すからです。
いろんな意見を受け入れる寛容性が小さくなっている、とも言えるでしょう。

アウシュビッツは過去の外国の悲劇ではありません。
そこを通して現代に生きる私たちが何を考え、どう行動に移すか。

私は「あれ…?」と思った時に「おかしくない?」と言える自分であるか。
反対意見を受けた時に頭から否定せず、対話できるフトコロがあるか。

アウシュビッツを訪問して2ヶ月半。
今でも考え続けています。



えり
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